4月12日(金) ロシア、ウラジオストク
午前10時半、起床。
良く寝たわ。
まだ旅始まって3日目やけど、だいぶ飛ばし過ぎてる感あるで笑
休める時に休んでいかなあかんな。
旅人には、土日という概念は存在しない。いつ何をするか、いつ休むか、全ては自分次第なのである!
まずは腹ごしらえのため町を散策。
露店でホットドッグを発見。

このデカさで110ルーブル。中にソーセージ二本、チーズ、野菜もたっぷり入ってる。
体感的にロシアの物価は日本より安い。先進国なのに意外。
腹ごしらえを済ませ、近くのカフェでコーヒーを飲みながら今後の計画を立てることに。
ロシアに来た最大の理由はシベリア鉄道に乗るためだ。
世界最長の鉄道、シベリア鉄道。
ロシア極東の地ウラジオストクから首都モスクワまでを結ぶその鉄道の全長は9297kmにも及ぶ。それは日本-イギリス間の直線距離に相当する。
なんと、この鉄道に乗るだけで、地球を4分の1周できてしまうのだ!!!
シベリアの大自然を堪能しながら
列車の中で眠り、夢を見、果てしなく続く線路の先へと思いを馳せる。
これぞロマン!!!
ロマンしかない!!!!!
シベリア鉄道で終点、モスクワへ着くまでは丸1週間かかる。
その間、列車の中で生活することになる。途中の駅にも停車するようだが、止まっても1時間程度で、町歩きができるような時間は無いらしい。
迷うな。
一気にモスクワまで行くってのもすげー楽しそうやけど、モスクワに着いてしまうと次は東欧か中央アジアに向かうことになる。
ちょっと展開早すぎへん?笑
もっとロシアの他の都市にも行ってみたい
まだロシアン美女とも仲良くなってない
と、考えると一気に行くのは無しやな。
ってことでウラジオストクとモスクワの丁度中間あたりに位置するイルクーツクという都市まで移動することに決定。
さっそく切符を買いに駅へと向かう。
英語が通じない中、悪戦苦闘しながらもなんとか購入。チケットにも英語表記が一切ない。
尚、シベリア鉄道の座席には3種類。1等、2等、3等に分かれている。
ここは迷わず3等席を購入。価格は日本円して約9千円。
思ったよりたけーわ。
これは稼げる時に稼いでおかないと、後々響いてくるで、、、、
さて。ちょっと歌の練習でもするか。
ギターを抱え町をうろつき、人通りがまばら、かつ声が響きそうな屋根のある場所を見つけ練習する俺。
まあ、昨日よりはましやな。
昨日改めて思ったけど、路上で歌おうとすると、無意識にデカイ声を出そうとしてしまう。確実に喉を傷めるし、何より何時間も歌えない。
ここだと自分の声を聴きながら、適切な声量で歌を歌う練習ができる。
弾き語りをするバスカー(バスキングをする人のこと)の中にはマイクを使ってスピーカーから声を届けている人もいる。ってか一般的にそっちの方が多いんじゃないかな。
だが、俺はポリシーとしてマイクは絶対に使いたくない。
マイク通して歌うと、誰でも歌うまく聴こえるんよな。エフェクトかけたらそれっぽく聞かせることは誰だってできる。
カラオケがうまい人が、ほんまにええ歌歌えるかって考えるとそうとは限らんやろ。
もう一つ、マイクがあることによって歌を聞かせる側、聞く側が明確に区別されてしまう。
多分俺の求めてる音楽には、そういう境界は必要ない。だから俺は下手くそでも良いから生の声で歌いたい。
まあ、単純にアンプとか持ち歩くのがだるいってのもある笑
アカンわ、はよ歌いたいわ。
今日もちょっと路上やっとくか。
てなわけで昨日と同じ場所に移動し、歌ってみる。



楽しいな。
昨日の10倍ぐらいは楽しい。
話かけてくれる人とコミュニケーションとりながら歌うのが凄く楽しい。

約1時間で合計534ルーブル。
色々分かってきたぞ。
入れてくれるお金の金額は、その相手がどれだけ楽しんでくれたかに比例してる。
お札入れてくれる人(少数派)は、皆めっちゃ笑顔になってくれてるもんな。
コイン入れてくれる人は、こいつちょっとおもろいやん!か、応援してるで!って感じの反応かな。
洋楽と日本の歌だったら日本の歌の方が反応良いな。単純に俺の発音が下手なだけの可能性もあるけど笑。ウラジオストクは英語話せる人かなり少ないし、ここでは多分言語は関係ない。
バラードかアップテンポな歌だったら明らかに後者。これは俺のスタイルに合ってるからかな。頑張って聞かせるよりは、全身フルに使って動き回って楽しい感じでやる方が断然良い。
なるほどな。
とりあえずレパートリーが少なすぎるのが問題やな。笑
もっと楽しく、誰でも歌えそうな感じのやつ増やさなアカンわ。
18時30分
ツナ君に誘われ、オーケストラのコンサートを鑑賞することに。
海外の文化、芸術に触れるってのもこの旅でやりたいことのうちの一つ。
そういやクラシック音楽の生演奏を聴くのは初めてかもしれん。
ロシアと言えばクラシック音楽ってなんとなくのイメージはあるかもな。チャイコフスキーぐらいしか知らんけど。笑
出演者たちの登壇と同時に拍手に包まれる会場。

それはまるで、ひとつの生命のようだった。
指揮者の一挙一動に呼応し、楽器たちが振動し、唸り、調和していく。
逞しい幹から枝葉が伸びていくように
水平線の彼方から訪れる波のように
決して目にすることのできない途方もなく大きな力が、聞く者を、物語の世界へといざなってくれる。
それは単に”音楽”と称することができるものなのだろうか。
それにしても指揮者の気迫はすげえぞ。
身体全体。いや、精神や魂のエネルギーを全て使って全身全霊でストーリーを表現してた。
もし、指揮者がいなければどんな演奏になるんやろうな。
自分という人間の指揮者は誰なのか?
それは本当に自分自身なのか?
人は思い通りにならないことが起こった時
何かにつけて他人や環境のせいにしようとする。
虚栄心、恐怖心、自尊心。
行く手を阻むのはいつだって、自分自身の弱い心でしかない。
自分という人間の指揮者であり続けること。
簡単なことじゃねーな。
そんなことを思った夜だった。
つづく。
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