スペイン巡礼記「愛するということ」

巡礼23日目。総歩行距離500kmを超え、長い旅路もいよいよ終盤。深い秋に染まった林道を抜け、山間のなだらかな登り坂に差し掛かった。まだ11月の中旬だというのに、所々に雪化粧がかかり、山を登るに連れてその寒さは厳しさを増していく。その日は、山の中腹の小さなアルベルゲで仲間たちと共に眠った。
 
翌日、窓を開けると、そこは雪国だった。灰色の空から剥がれ落ちた凍てつくような白が、世界を銀色に染めてゆく。巡礼者たちは、何枚にも服を着重ねた服とレインコートの上からバックパックを背負い、冬の山に向けて果敢に足を進める。
 
この日は、7日ぶりにバックパックを背負って歩いた。痛めた足首の状態はほぼ全快と言えるほどに回復していた。
 
背中にのし掛かる重みが懐かしい。途中、何度も水たまりに足をとられ、靴もズボンもずぶ濡れになった。そして、前方から風に乗ってきた雪が、容赦なく身体に襲いかかる。体温が奪われ、疲労がとてつもない速度で蓄積していく。
 
だが、身体への疲労とは裏腹に、頭の中が少しずつ明瞭になっていく感覚を覚えた。日本にいる時に苦しめられた、過去への後悔や、未来への不安。それらを、恐ろしいほど客観的に、冷静に眺めることのできる自分がいた。
 
そういえば、もう20日以上も、起きては歩き、疲れ果てては眠るという日々を繰り返している。
 
人間は元来、大自然の中で、大自然と共に生き、新しい命を紡ぎ出し、その種を発展させてきた。人間が自然に積極的に手を加え、操作することを覚えたのは、農業革命が起こった僅か1万年前のことだ。ましてや、人間が人工的な狭い空間の中、長時間労働を強いられるようになったのはここ一世紀のことだ。
 
昨今、精神的疾患が重大な社会問題として認識されるようになった。心の中で苦しみ抜いた末、自らの手でその生を終える人も少なくない。それはもしかすると、現代社会が、人間のDNAに刻まれた生き方にそぐわない生活を強いる構造になっているからなのかもしれない。
 
サンティアゴの道は少しずつ、本来のあるべき姿を思い出させてくれていた。
 
 
巡礼26日目。ついに、サンティアゴの道、終盤最大の難所と言われるオ・セブレイロ峠に差し掛かった。
 
この日はあいにくの雨。そして、重たいバックパックを背負っている身にとって、急な傾斜は痛いほど身体に堪える。ずぶ濡れになりながらも、全身の力を振り絞って上へ上へと登っていく。なんとか夕方遅く、頂上まで3km手前のアルベルゲに辿り着いた。
 
そこで一夜を過ごし、翌日、ついに峠を越えを果たす。その後は起伏の少ない山道が続いていた。ここまで来たらもう、聖地サンティアゴは目と鼻の先だ。
 
頭の中はかつてないほど澄み渡っていた。そこで、一人山道を歩きながら、これまでに何度も考えてきたある「問い」について考えてみることにした。
 
人はどうすれば幸せになれるのか?
 
すると、思い浮かんだこともない言葉が脳内に響き渡った。
 
「愛だよ。人は、愛することで幸せになれる。」
 
「全ての始まりは、神の愛だった。神の愛によって、世界は創造された。この世界は全て愛によって成立している。そして、神は人間を生み出し、愛するという力を与えた。」
 
「今、身体の中に流れている血こそが愛の証だ。その血こそが、何千何億万人もの人々の愛だよ。」
 
「だが、人は愛されることばかりを求め、愛するということを忘れている。求められることを求め、失うことを怖れてばかりいる。それによって、あらゆる問題は引き起こされる。」
 
「愛されたいが故に愛そうとする。それは本物の愛ではない。愛とは、自身の中から溢れ出る水のようなものでなければならない。それは、春には蕾が花開き、夏には木々が生い茂り、秋には色を付け、冬には枯れ散ってゆくのと、丁度同じようなことだよ。」
 
 
 
 
 
道は、まだ続いている。
 
 
 
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